The Way 2 Life
  神はあなたを愛して おられるのでしょうか?
 

問:1. 時には、神は私を愛しているのかどうかと考えてしまうのです。神が愛のお方なら、何故この世には多くの苦しみと悲しみがあるのでしょうか?

答:  聖書と云う神の本の中で、神は私たちの罪がすべての苦しみと悲しみの原因であると言われます。神は全世界にご自身の愛を明らかにされていて、それは聖書の中で最もよく引用される次の聖句にある通りです。

 

    神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
     ヨハネによる福音書3:16

しかしそれだけではありません。更に次のように言われています。

 

    悪しき者の道は主に憎まれ、正義を求める者は彼に愛せられる。 
    箴言15:9

 

    主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
     詩篇1:6

問:2. でも、私は悪しき者ではありません。私は善良で道徳的な人間です。良くないこともしましたが、はるかに多くの良いことをしてきたのです。こういう聖句は、私に当てはめられないと思います。

答:  しかし、神の義を基準にすれば、どんなに道徳的な人も地獄への道を辿る惨めな罪人に過ぎないのです。聖書は誰一人として、自分の力で天国に行けるほど善良ではないと教えています。それどころか私たちは一人残らず罪人であり、神の御前に有罪なのです。

 

    次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 
    ローマ人への手紙3:10-11

 

    心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。 
    エレミヤ17:9

問:3. もし神の目に私がそれほど悪い者だとするなら、神は私をどうするつもりなのですか?

答:  聖書は、世の終りには、悪い者はすべて地獄という所で永遠の裁きを受けると教えています。

 

    わたしの怒りによって、火は燃えいで、陰府の深みにまで燃え行き、地とその産物とを焼きつくし、山々の基を燃やすであろう。わたしは彼らの上に炎を積みか さね、わたしの矢を彼らにむかって射つくすであろう。彼らは餓えて、やせ衰え、熱病と悪い疫病によって滅びるであろう。わたしは彼らを獣の歯にかからせ、 地に這うものの毒にあたらせるであろう。
     申命記32:22-24

問:4. まさか!地獄などあるはずがないでしょう?そんな酷い事はあり得ません。

答:  ところが地獄はあるのです。イエス・キリストを救い主と信じない者にとっては、実に恐ろしい事です。聖書は、地獄とは、絶え間なく苦しみが続く永遠不滅の場所であると多くの聖句をもって教えているのです。

 

    このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。 
    ヨハネの黙示録20:15

 

    世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使いたちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 
    マタイによる福音書13:49-50

 

    それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。
     テサロニケ人へ第二の手紙1:7-9

問:5. それは恐ろしいことです!何故神は、地獄を造るようなことをされたのですか?

答: 答: 地獄は恐ろしい所です。そしてそれは実在するのです。何故なら、神は、人を全ての行為に責任を持つ者として造られたからです。神の完全な義は罪の代価を要求するのです。

 

    罪の支払う報酬は死である。 
    ローマ人への手紙6:23

 

    なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。 
    コリント人の第二の手紙5:10

 

    あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
     マタイによる福音書12:36

問:6. では世の終りには、全ての人が生きかえって裁かれ地獄に送られるというのですか?

答:  そのとおりです。もし誰か他の人が代わって永遠の裁きを受け、私たちの罪の代価を払ってくれなければそうなるのです。その身代わりとなって、信じる者の罪の裁きを受ける為にこの世に来られたのが、神の子イエス・キリスト御自身なのです。

 

    われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
     イザヤ書53:6

 

    しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 
    イザヤ書53:5

 

    わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、(である。) 
    コリント人への第一の手紙15:3-4

 

    神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
     コリント人への第二の手紙5:21

問:7. では、私の身代わりとなって罪の裁きを受けて下さったキリストを信じれば、私はもう地獄の心配をする必要はないということですか?

答:  その通りです!もし私がイエス・キリストを救い主として信じるなら、神の裁きの座で受ける罪の裁きは済んでしまったことになるのです。キリストが身代わりとなって、罪の代価を払って下さったからです。

 

    御子を信じる者は、永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。
     ヨハネによる福音書3:36

問:8. しかし、キリストを信じるとはどういうことですか?救い主であるキリストについて聖書が語っていることを信じれば、地獄行きを免れるということですか?

答:  キリストを信じるとは、単に聖書の真理を理解することではありません。信じるとは、神の律法の書である聖書全体を信じるということです。そして、聖書の 命令に従いたいという熱心な願いを持つということです。ですから、聖書を通して神が導かれるように生きるなら、私は本当に幸福なのです。

 

    もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っているということを悟るのである。
     ヨハネの第一の手紙2:3

 

    だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは神と富とに兼ね仕えることはできない。
     マタイによる福音書6:24

問:9. それでは、キリスト以外に地獄を逃れる道はないということですか?他の宗教や、キリストを信じると公言している多くの宗教はどうなるのですか?それらの信者もやはり地獄に行くのですか?

答:  そうです。彼らも神の前に罪の責任を問われます。神は私たちに罪の支払いを要求されるのです。他の宗教には、信者の罪の為に身代わりになる人はいないの です。私たちの罪過を負って救うことがお出来になるのは、キリストお一人だけです。従って、彼らはその宗教を離れ、聖書だけを信じるようにならなければな りません。

 

    この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。
     使徒行伝4:12

 

    イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
     ヨハネによる福音書14:6

問:10. これは、大変なことです。私は地獄に行きたくはありません。救われるには、どうしたら良いのでしょうか?

答:  あなたに出来ることは何もありません。聖書は、神だけがあなたを救うことが出来ると語っています。神は、ご自身が救おうとされる者たちの心と人生に、神 の言葉(聖書)を働きかけて偉大な奇跡を行われるのです。この救いの奇跡が起きるとき、救われた者は神と聖書を愛するようになります。聖書という神の律法 に従うことが、今その人の最大の喜びになるのです。ですから本当に救われたいと願うなら、聖書を丹念に読むことに多くの時間をかけるべきです。

 

    したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。
     ローマ人への手紙10:17

 

    あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
     エペソ人への手紙2:8

 

    ところが、・・・ルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに(パウロは福音を語っていた)耳を傾けさせた。
     使徒行伝16:14

問:11. あなたは、ずっと聖書を引用されていますが、どうして聖書はそんなに重要なのですか?

答:  聖書は世界で一番重要な本です。何故なら、それは神の人類への律法の書だからです。もしその人を救うことが神の御心なら、聖書を読んだり聞いたりするこ とを通して、神はその人に救いもたらすことがお出来になります。また、その人は、神と神の救いの計画について多くの素晴らしい最高の真理を学びます。実 際、彼は神の御声を聞いているのです。何故なら聖書の著者は神であり、それ故に、神の言葉(聖書)を通して神は彼に語っておられるからです。

 

    主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
     詩篇19:7

 

    おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。
     詩篇119:1

問:12. 神に憐れみを乞い、私を救って下さるように祈っても良いでしょうか?

答: 答: もちろんです!神は憐れみのお方です。それ故に、聖書は私たちが神に祈ることが出来ると語っているのです。そして、救ってくださるように憐れみを乞 い願い、私たちが神の怒りに値する罪人であることを認めて祈るべきだと語っています。祈りが私たちを救うのではありませんが、私たちの救われたいという真 剣な願いを神が御存知であるという確信を得ることが出来るのです。

 

    ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
     ルカによる福音書18:13

問:13. 私は教会に行くべきでしょうか?

答:  聖書は、イエスが十字架で死なれてから二千年の間は、イエスを信じる者たちは出来るだけ教会のメンバーであるべ きだったと語っています。しかし、今、教会の働きを通して神は救いを成されないことを、私たちは聖書から学んでいます。

 

    預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる(地域諸教会にいる)人々は山へ(キリストへ)逃げよ。
     マタイによる福音書24:15、16

教会、牧師、聖職者、洗礼、聖餐式などによって、私たちが救われることは出来ないということを銘記しておかねばなりません。神御自身であられる主イ エス・キリストだけが私たちを救うことがお出来になるのです。聖書は、今のこの時、神が多くの者たちを救われるのは教会の外だと語っています。

 

    その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群集が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、 
    ヨハネによる黙示録7:9

問:14. 神はどのようにして人を救われるのですか?

答:  ヨハネによる福音書11章は、神だけが私たちを救う全ての働きをなさることを明確に記しています。キリストは、四日間死んでいたラザロという名の男に命 をもたらされました。イエスは、ラザロの墓の外に立ち、「ラザロよ、出てきなさい」と命じられたのです。どう見ても、墓の中の悪臭を放つ死体はキリストに 聞くことも従うことも出来ませんでした。聖書は、救われる前の私たちは霊的に死んでいると告げています。それにもかかわらず、神は私たちに神を求め、神を 信じ、神に立ち返れと命じておられます。しかしながら、ちょうど死んだラザロが墓の中から出て来るようにというイエスの命令に従うのが不可能だったよう に、霊的に死んでいる者が救われる為にイエスを信じるようにという神の命令に従うのは不可能なのです。

 

    わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。 
    ヨハネによる福音書6:44

けれども、ラザロはイエスの命令を聞き、生きた者として墓から出てきたのです。 それはどのようにして起きたのでしょうか?イエスが死んだラザロに出て来るように命じられた時、イエスの霊は墓に入り、その悪臭を放つ死体に肉体の命と聞 く耳、そしてキリストの命令に従う意志と力とを与えなければなりませんでした。同じように、救おうとされている者たちに、信じ、悔い改め、救われよと命じ られる時、神は自分自身では決して救われることの出来ない霊的に死んでいる者たちに話されているのです。その中にはイエスを救い主として信じ、神の御心を 行うことに喜びを見出す者たちがいます。救われたという何らかの証が彼らの人生に現れてきます。神が人々に信じることを命じられた時、神御自身が彼らの人 生に介入して救われたからなのです。神が救われたので、彼らはイエスへの信仰に導かれたことを悟るのです。彼らは罪を大変厭わしく思うようになります。そ れは、神が救いに定められた人々が福音を聞くことにより、御言葉を彼らの人生に用いられ、救われたことを指摘しています。 

もしあなたが救われていないなら、熱心に聖書に耳を傾けて下さい。丹念に、祈りを込めて聖書を読み続けて下さい。神の律法の書である聖書を通して、神があなたを招かれるなら、あなたも又救いを受けられるでしょう。

どんなにあなたが恐ろしい人生を送って来られたとしても、どんなに酷い罪を犯したことがあったとしても、神の憐れみにより、あなたも又救い に招かれている可能性が大いにあるのです。しかしながら、神は全てを御自身の時にかなって行われるということを覚えていて下さい。ですから、あなたは聖書 を学び続けながら忍耐強く主を待ち望むべきなのです。

 

    主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。
     哀歌3:26

 

    わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。 
    詩篇62:7、8
 
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